死に悲しみはなぜあるの?|奈良県で家族葬をあげるならエンセレモニー

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2022.04.05

エピソード

テーマ:

死に悲しみはなぜあるの?

不安に効く言葉

(※宗教・宗派によって考え方・捉え方に違いがあります。独断と偏見で投稿いたします。)

 「なぜこんなことに」

 「どうして自分だけが」

 「どうしてあの人が」

 苦しみや悲しみは、突然何の前触れもなくやってきて私たちを揺さぶります。

 

生きる苦しみと悲しみ

 不安や疑心から「苦しみ」や「悲しみ」が襲いかかり、足元が崩れていくような感覚に陥った時、人はどうすればいいのでしょうか。

 紐解きながら考えていきましょう。

 

なぜ「苦しみ」・「悲しみ」があるの?

 苦しみと悲しみについて考える時、「四苦八苦」と言われる有名な人生の苦しみが思い浮かびます。

 

四苦八苦とは

 「生(しょう)・老(ろう)・病(びょう)・死(し)」の四つと、以下の四つを合わせた人生で起こりうる苦しみを表しています。

「愛別離苦(あいべつりく)」愛するものと別れる苦

「怨憎会苦(おんぞうえく)」怨み憎まねばならないものと会う苦

「求不得苦(ぐふとっく)」求めて得られない苦

「五蘊盛苦(ごうんじょうく)」総じて人間の活動による苦

※これらは仏教用語です

 なぜ人は苦しむのでしょうか?

「自己中が状況を苦と悲しみにする」という考え方もあります。

 

 苦や悲しみが正起している時、「自己の感情や、自己保全本能や、自尊心」などの自己中心的な心が、物事と必要以上に対立してしまうのです。

 「苦」とは意思に逆らうことに解釈します。その意思が自己中になるのです。

 

 物事は【大きな力】に一方的に左右さえているのではなく、中心にいる自己の責任と主体性が問われているのですよ、というのが視点となります。

苦しみや悲しみを感じる時、「どうして自分がこんなめに」と被害者めいた意識になりがちではないでしょうか。

本当に苦しく、悲しいほどその感情以外に何も考えられなくなり、自暴自棄になったり、周囲に当たり散らしてみたり、現実逃避をしたくなるのも無理はありません。

 しかし苦しみ・悲しみは自分自身の「プライド」や「見栄」、「自分は優れた人間である」「他の人と比較して安心したい」などといった感情や、自己保全本能、自尊心から生まれてくるものだと捉えることができます。

 自分が苦しい・悲しい・と思った時、「そもそもなぜこんなにも悲しいのか」「そもそもなぜこんなにも苦しいのか」と自分と対話することでその原因に気づき、気づいたら今度はその原因となる価値観をどのように変容させていくのか?

その繰り返しによって、「悪いもの」と捉えられがちな苦しみや悲しみが自身を成長させる現象に変わっていきます。

 

悲しみのエピソード

 家内が突然死した時、

「なぜだ、なぜ死んだ、という思いでいっぱいでした。」

「なぜ死んだ、という思いでいっぱいでしたが気が付いたら家内自身が「なぜだ」と思っているに違いないと気が付いたのです。それでなぜと問うこと家内を苦しめることになるので、そう問うことはやめようと思った」

私もなるほどそうかもしれないと感じました。

 「今ここにいる自分」と現実世界だけを考えればとても苦しく、耐えられそうにもない出来事も視点を変えて、もう会えなくなってしまった「大切な人」の想いを想像することで、「悲しい」「苦しい」一色だった世界だったとしても時間がたつごとに異なって見えてくるでしょう。

 

例えば、あなたの大切な人が亡くなってしまったとします。

 「なぜだ、なぜ死んだ」「なぜ自分や家族がこんなめに」「病気が悪い」「あの時のあの人の言葉が悪い」とどんどん苦しみや悲しみを助長する思考に「絶対自分はならない」といいきることができるでしょうか。

 そしてそうなった時にどのように健全な精神に自分を引き戻すことができるでしょうか。

 そんな時に、自分とは異なる視点に立つことでこんなことが考えられます。

 

 「こんな風に思っている自分をあの人が見たらどう思うだろう」「あの人のほうが無念だったのではないか」「憎しみ悲しみで心をいっぱいにした自分を心配するのではないだろうか」などと自分以外の人の視点にたつことで心が鎮まっていくことでしょう。

 

 むしろ、苦しみ悲しみによって「よりよく生きる」ことや「自分自身の本当の願い」や「自分自身の新たな一面」を知ることにも繋がるかもしれません。また、同じような苦しみや悲しみを抱える人に寄り添うこともできるでしょう。

そうした苦しみ・悲しみを乗り越えるというよりは受け入れるまでのサイクルを通じて人として成長していくことができる。という考え方を学びとることができのではないでしょうか。

 生きるとか死ぬとかというけれど、死ぬというのは最後まで自分がどうやって生き続けるかということです。

 例えば、家族は介護を通じてそれぞれ生きる修行を行っているのです。

 もちろんそれはきれいごとではありません。

 問題は汚いこと、醜い事をやりながらどうやって人間的に成長するかです。

 これが「生きること死ぬこと」に対するとりあえずの今日の結論だと考えています。

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